ミルクティーの話

紅茶が好きだ。より正確に言うと、ミルクティーが好きだ。かれこれ10年以上ミルクティーを飲み続ける毎日である。

やかんを火にかけ、お気に入りのマグカップティーバッグをセットし、沸いたお湯をそそいだら、ミルクをたっぷり入れる。いつも使っているのは、ニョロニョロ柄のマグカップ。もう7年くらいは使っていることになる。高校生のとき、わたしがニョロニョロに心を奪われているのを知った友人が誕生日プレゼントにくれたのだ。まったくありがたいことだ。

 

けれど実は、わたしは紅茶の世界に長い間無頓着でもあった。世界の素晴らしいバライエティの紅茶に想いを馳せることもなく、随分と長い間、リプトン一強時代が続いた。それをほとんど初めて揺るがしたのは、大学の授業中、そばで雑談をしていた女性の言葉だった。「リプトンの紅茶、あればダメね」。自分の信条を否定されたのに近いものを感じ、軽いショックだったのを覚えている。

しかしそれでも、リプトンの紅茶の勢力は大変に強かった。わたしはこの出来事以降、イギリスのフォートナム・アンド・メイソン、ウィタード、ハロッズトワイニング(リプトンの紅茶に言及した女性は、トワイニングの紅茶ならば良いとの意見を表明していた)など、いくつかの種類の紅茶を試してきた。そして、アッサムはあまり好みではないが、トワイニングのレイディ・グレイ、フォートナム・アンド・メイソンのカンテス・グレイとスモーキー・アール・グレイが格別においしいことを知った。これらは香りが高く、飲むと毎回特別な気分になる。しかし、気が付くと、いつの間にかリプトンの紅茶に戻っていた。シンプルな味だが、あまりに長いこと飲んでいるので、その気取っていないところに親しみを感じてしまうのだ。

 

そんな中、ちょっとした出来事があった。人と待ち合わせをしていたある日、相手から1時間遅れるとの連絡がきた。電車の行き先を間違えたようで、遠いところ申し訳なかったなと思いつつ、特別な用もなかったのでのんびりとカフェに入って、お昼のサンドウィッチを頼んだ。席に着こうとしたとき、『ABOUT COFFEE』という絵本が目に入った。どこか惹かれる表紙だった。偶然やってきた空白の一時間で、お付き合いさせてもらおう。そう思って手に取った。

これが実に素敵な本であった。どの産地のコーヒーをどんな風に淹れると、どんな仕上がりになるのか、愛のあるタッチで書かれていた。わたしはすっかり魅了されてしまった。そして、「同じような本で紅茶について書いてあるものがあれば良いのにな」と考えた。すると、思いがけず簡単に、『ABOUT TEA』という本が見つかり、すぐに家に取り寄せた。

 

紅茶が大好きだが、何も知らないわたしは、この『ABOUT TEA』という本の中に書かれた内容を、茶葉がお湯を吸い取るように学んだ。すると次はミルクティーについて学ぼう、と決意をし、『イングリッシュ・ミルクティーの秘密』という本を入手して、口の中のクッキーが紅茶を吸収するように学んだ。そして、誕生日祝いに(その本が届いた日は奇しくもわたしの誕生日だった)、お気に入りのアール・グレイを使って、本に書いてあった方法でミルクティーを入れてみた。

ニョロニョロのマグカップを熱湯で温めてから茶葉に湯を注ぎ、そのあとは蓋をして蒸らし、予め温めておいたミルクを注いだ。

熱いものが苦手はわたしは、いつもは冷たいミルクをたっぷり入れることで、ミルクティーの温度調整をする。しかし、今回はミルクを温めてしまっている。紅茶が熱すぎてしまうのではないか。少し心配していた。

できあがると、豊かな香りがふわっと立ち昇った。丁寧に入れただけあって、ちょっと嬉しい気分になる。マグカップを口につけてそそると、決して熱すぎないちょうどよい温度で、ミルクの濃厚さと、ベルガモントの風味がうまく混じり合った。

「やっと、本当のミルクティーに出会えたんだ…」そう感じた。

 

まだまだわたしの紅茶研究の旅は長い。長いもなにも、今まではその場で足踏みをしていたに近いので、やっと自分の街を出る、という状態だ。それでも、素敵な紅茶たちと巡り合うこれからの旅にとてもワクワクしている。

 

朝起きたとき、頑張りたいとき、ゆっくりしたいとき、悲しいとき、負の感情が渦巻いたとき、わたしはいつもミルクティーと共にあった。これからももっと、お世話になりそうだ。

 

ところで、ニョロニョロというのは、ムーミン谷に住む、白い長靴下のような形をしたいきものだ。種から生まれ、船に乗るときはかならず奇数の人数しか乗らず、毎年夏には集会を開くらしい。

わたしは昔から、ニョロニョロだとか、羊男(村上春樹の小説の中に出てくる)だとか、わたしの知らないところでひっそりと自分たちの生活を守っているいきものたちに、どうしても強く心惹かれてしまう。