文章を書く

文章を書くという作業は、彫刻に似ているような気がする。生み出したいもののイメージは見えているのだが、今手元にあるものにはっきりとした形はない。少しずつ、悩みながら、考えながら、「言葉」という形でその物体を削っていき、輪郭を作っていく。

 

文章を書くのは昔から好きだった。子どもの頃、自転車を漕ぎながら色んな物語が頭の中に思い浮かんできたものだった。小学校の卒業式のとき、将来はエッセイストになりたいと言っていたのを覚えている。けれど、中学生に入ってから、授業以外で文章を書くことは多くなかった。

 

ただ、ときどき、感情の渦が湧いて、止められなくなることがある。そのことが頭から離れなくて、どうしようもなくなることがある。そんなとき、これまでは短い文章で表したり、あるいは何にも表さず、一人頭の中でぐるぐると思考を巡らせてきた。つまり、今までの人生の中で渦巻いてきた思考のほとんどを、私は掴むことなく放っておいていて、それはいつの間にかどこかに消えてしまうのだった。

 

けれど、留学中に考えたことはもう少し特別なことだと思った。今までの人生で考えてきたこととは明らかに質が違うし、これから同じように感じることもないだろう。たとえまた海外に行ったとしても、この年齢で今の考えを持って今の感覚で行くことはないし、きっと目的も違う。だから、今回ばかりはどうしても書き留めておかねばならない。それが必要だった。知らない間に見失うわけには行かなかった。だから、エッセイを書き始めることにした。でも、留学先での経験をただ書き留めるだけのブログとは何か決定的に異なるものを作りたかった- 私の感覚で、私の見方で、この世界を切り取って言語化したかった。

文章にするのは、私にとって最高の思考の整理の仕方だから。そして、文章を書くのが好きだから。そして、その力を鍛える必要があるから。

 

なぜ文章を書くのだろうか。一つの答えは、「自分と向き合うため」である気がする。自身の感情や考えを理解するのは、実は簡単なことではない。だから、「言葉」という彫刻刀で、初めは何も語らないように見える物体から、意味のある形を生み出す必要があるのだ。時間のかかる作業ではある。けれど、今こうして文章を改めて書くようになって、感覚を言葉に落としていくこの作業が自分にとってどれほど大切で好きなものか、改めて感じている。